2012年4月26日木曜日

手紙

 うちは、気持ちを伝える手段として手紙を書くことが多いほうかもしれない。
電話やメールも簡単ですぐに伝わるけど、本当の気持ちを伝えたいときによく手紙は書く。
 私たち夫婦が「恋人時代」には、携帯電話がなかったので感動したときなんかにそのときの気持ちを伝えたいときなんて葉書を出してた。
 ともあきさんは、よく葉書をくれて葉書が到着するより先にともあきさんに会うことがあっても葉書をくれたなぁ。
 私も義父母にもよく葉書や手紙をだすんだけど、義父なんて私が出した手紙類は全部アルバムに張っていて特に感動したところはぁ~と赤線ひいています。
 特にここに感動したからと差し出し人である私に電話で読むような義父です。

 今回、沖縄に行き帰りの飛行機で本を読もうとしたら「ママへ」との手紙が。

いつの間に入れたのか長女からの手紙でした。
沖縄に来てくれてありがとうと毎日思っていますというようなことを書いていた。
そして、最後に「ママがママでよかった」には、もうもう、もうもうもう号泣してました。
帰りの飛行機は空いていて横の列には誰もいなかったからよかった。
 何度も何度も何度も読んでは、泣いてました。

 そういえばうちの長女は、いつもこうだった。
母が上京して帰るときには、「また遊びにきてね」と案外あっさりして見える長女。
母のバックには、いつもいつの間に入れたのか手紙が入ってたそうです。

 小さい頃、私にひどく怒られたときなんて「反省文」(笑)の手紙があったり、トイレに入ってるときに
ドアの下から「ごめんなさい」と手紙を忍ばせてきたり。
二女のように雄弁でない長女だったからかな。

 話は戻り、飛行機の中で泣いて泣いて一呼吸つき、手紙を戻そうとバックに入れたら、もう一通の手紙があり、今度は「パパとママへ」

帰宅してからともあきさんと読もうかなぁと思ったけど、手紙を二人で泣いてしまうのもなんだか二女がかわいそうな気がして読むことに。

 「この便箋覚えてる?」から始まった手紙。

そう長女が小4のときに家族で沖縄に旅行したときに、ホテルで買ってあげた便箋。
可愛いからもったいなくて使えなかったけど、今回いい機会なのでこれに書きます。

 4枚びっしり書いた手紙。

ともあきさんにも見てねとサイドボードに置いたけど2.3日そこに置いたままだったけど、いつの間にかなくなり、

見た?と聞いたら見たよと。

「女の人って気持ちの切り替え早いよね?
オレが成田までゆめちゃんを送りに行き、帰ってきたらタオルも布団も洗って干してるし、ベッドももう倒してしまってるから驚いた。現実的だよね」ともう四回言ってます。

 長女が沖縄に行き寂しいなぁと感じることはあまりなく、いやほとんど今のところないけど、この手紙を思い出すだけでも今でも涙が止まりません。

 一昨日、今シーズン最初の大型絵本作成があったけどそのときに、この話をしたらママ友も涙ぐんでました。
職場でも60代の薬剤師さんが私の母を聞いて泣いてました。

 手紙って もらった人の心に残るし、書いた人もあらためて思う感謝や反省?もありやっぱりいいなぁ。

 今日は、これから青山にお出かけです。

春らしい便箋と葉書みつけてきたいなぁ。
 

2012年4月24日火曜日

入学式 長女編

 長女の大学の入学式は、六日。
シャトルバスが大学から出て沖縄コンベンションセンターにて行われました。
私が大学生の頃なんて列席する親はいなかったなかった気がする。
うちの親は、列席しなかったし、私も札幌から上京しての一人暮らしだったけど母はこなくて全部一人でアパート探しからして買い物もしたなぁ~。
母が上京したのは、連休だった記憶がある。


今の大学の入学式ってまるで入社式のようにみぃんなリクルートスーツ。
長女もリクルートスーツを用意したけど、ともあきさんが折角の入学式なんだから、女の子らしいワンピースでも着たらいいのに、みんながリクルートスーツなんてつまらないなぁと言ってた。
もしかしたら、沖縄は違うかもと静香や他の友だちにも聞いたら、やはりリクルートスーツらしい。

私はといえば当時流行っていた「BIGI」のオレンジ色のジャンパースカートだったなぁ。
(※ビギです。ビッグワンではありません(笑))
スーツもいたけどワンピースやフリフリもいたしセクシー系もいたなぁ。
男子もリクルートもいたけど、ブレザーに蝶ネクタイなんかもいたしやっぱり今とは違うかなぁ。

母、すっかり肥えてます。ダイエット再スタートせねば!

今まで、化粧っ気なしの長女も春から少しだけお化粧するようになりました。
ホワイトディにパパからMacの口紅をプレゼントされたのに使わないなぁと思ってたら
入学式の日におろしてました。
あとでこれをともあきさん聞いたら感動するだろうなぁと思いながらも、そんな長女がちょっとだけかわいく思えたりも。
いつもは、すぐケンカになる私たち母子ですがこの沖縄での1週間はカチンときたことが一度だけで今までになくお互い優しくできることができたのでした。

大事なスペース

そんなわけで生まれて始めての一人暮らしをする長女のお手伝いで沖縄滞在1週間。
もうあれから2週間。


 私の沖縄の友だち静香が毎日車を出してくれて買い物に付き合ってくれて本当に助かりました。
沖縄「車社会」です。
とても車なしでは大変でした。
「レンタカー借りて買い物するつもりだったのよ」と言う私に
「アッコさん、私がこんな近くにいるのにそんなみずくさいこと言うの?それにこの店が駄目だったらあっちの店がいいとかは、ナビじゃわからないでしょ?
こんなことしかお手伝いできないけど頼ってね」と
本当に嬉しいことを言ってくれました。


美人で頭のキレがいい静香。
見た目も正反対の私たちだけど何故か似てるところがある私たち。
沖縄入りして翌日にきた引っ越し屋さん。
長女の部屋は、5階で階段なし。
若いおにいちゃんとはいえ、沢山の荷物を二人で運ぶのはなんだか可愛そう。
「こういうの私黙ってられなくて手だしちゃうんだよね。」と言う私に
「やっぱりアッコさんも?じゃぁ、やろうか?」
と二人で手伝うことに。
「大丈夫です」と言ってたおにいちゃんも手伝いだした私たちにそれならお願いしますと
少しホッとしたようだ。


荷物が入り少しづつ家具が増えダンボールが消えていくとさいたまのマンションとは違い、長女だけの大事なスペースができていく。
押入れもなくて収納が全くないためにベッドの下とかのデッドスペースをフル活用。
自分の大事なスペースなのでいつとなく長女も一生懸命動き やることもかなり丁寧。
この様子をみただけでも一人暮らしさせてよかったと思えてきた。



カーテンは日暮里で長女が選んだ生地で作りました。かなり気に入ってる長女。


コンロはひとつだけだし、かなぁり狭い台所。


ベッドで長女は寝て、私は寝袋で寝てました。ぐっすりよく寝てたので「ママはどこでもよく寝れる。イビキも寝息も寝言もすごかった」と褒めてもらいました(笑)


2012年4月22日日曜日

沖縄出発


 もう三週間前となってしまいましたが、長女が沖縄の大学の進学のために我が家を巣立ちました。
 長女は、先月の31日出発。
私は、31日仕事を終えてから翌日1日の出発。
朝一番の成田発の飛行機に乗るために家を出たのは、五時。
 一日早く出発した長女とは、那覇空港で合流。
モノレールに乗り首里で下車すると私の沖縄の友だち静香が車でお出迎えしてくれました。
彼女とは、去年2月に会って以来約1年ぶりでまずは、ハグして再会を喜ぶ。

 不動産に寄ってもらい鍵を受け取り、まずはこれからの長女の「城」となるアパートへ。
5階(最上階だけどエレベーターなし)まで重いスーツケースをフラフラしながら運び到着。

 ワンルームで8畳。
思った以上に狭く収納は、ゼロで三人絶句してしまう。

 ドーム型のアパートのために最上階の長女の部屋の天井は結構高い。
いいところを見つけていく。
窓から大学がよく見えてすごく近い。
縦に1部屋ずつ入っている塔?が2塔でそれを螺旋階段で繋がってるような作りだから、隣の部屋の人は壁が繋がってない。
隣の人は、半階下となる。
つまり、渋谷東急ハンズやラフォーレ原宿のような感じになる。
ってことは、隣の音が気にならない。
これは、結構ラッキー!
  静香の娘のまりこちゃんを誘い四人でランチに出かける。
長女とまりこちゃんは、去年静香たちが上京したときに会ってるから今回が二回目。
それも同じ学部。
まりこちゃんは、やりたいことが他にあるらしく夜間のほうに在籍となるがそれでも、まさかさいたまと沖縄と離れた私と静香の娘たちが沖縄の同じ大学、それも同じ学部になろうとはやっぱりなんかあるんだなぁ~♪

 お昼を食べたあとは、彼女の車で琉球大学構内を案内してもらう。


学食前では、学生たちが「エイサー」を踊っていた。

「ううぅ~っ、ママも踊りたい」と言う私を冷たい眼差しで見る長女。
毎度のことだ。